臨床自然学研究所
自然として生き、そして自然に生きるお手伝いをする実践的方法を研究しています。
プロフィール

Author:キマ(木全慎也)
核として、人と世界を観察しながら、自然と人間が自然にいきるための方法について研究しています。
米国オレゴン州ポートランドにあるProcess Work Instituteにて修士コースに3年間留学後、大阪に帰ってきました。
最近は古神道、韓氏意拳の研究などを通して、意識と無意識の研究を続けています。


日本では、大阪を中心に時々プロセスワークをベースとしたセッションをします。
とくに自分の自然に気づくための教育、という方針でやっています。

仕事としては、より簡単に意識や人間の能力を高めコントロールするツールである「ヘミシンク」という商品をインターネットショップにて扱っています。
→ http://hemi-sync.jp

また、自分が自分らしく生き、自分の才能・夢をお金に変え、さらに世界を変えていけるようなビジネスをつくるコンサルティング及びプランニングもします。

個人的に連絡を取りたい方は
wukifne@hotmail.com
までご連絡ください。

なるべくたくさんの人が読んでくれることを望んでいるので、気に入ったら紹介してくれたら嬉しく思います。リンクフリーです。
メッセージやご意見などあったら聞かせてください。

2005-2007 Copy right by Kima (Kimata, ShinYa)

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死ぬ時
僕はいつも考える。

「もし明日自分が死んでしまうとしたら、僕はこの人生を十分に生きたといえるだろうか?」

と。


生は、
死があってはじめて輝きはじめる。
自分は明日死ぬかもしれないから、今日をしっかり、後悔しないように生きよう、と。
あなたとは明日別れることになるかもしれないから、今日この一緒の時を、しっかりと味わおうと。


ほとんどの人は
「死ぬとか怖いこといわないでくれ」
とか
「不吉なこといわないでくれ」
とかいって
死ぬことの話は避けてしまうけれど、
人間は必ず死ぬものだ。
致死率は科学的にも100.00%。
そして、
死というものは、
ある日突然にやってくるものだ。

昨日笑顔でわらっていた人が突然いなくなる。

昨日、「あと3年したら・・・」といっていた人が突然死と直面する。

昨日まで「老後は安心だ。」といっていた人が、「あなたの余命は1ヶ月です。」といわれたりする。


人の一生というのは、そんなものだ。
これは人間として存在している限り、避けられないもっとも本当の話。


どうせ来るものなら、あらかじめ考えておかない?


自分の死を意識した瞬間、自分の生がとつぜん貴重なものだと分かるだろう。
この一瞬一瞬、一期一会が、とてつもなく稀有なものだと分かるだろう。

そうやって生きていくことは、
ただ死について考えることを避けながら生きている一生とは全く違うものになる。

自分が死ぬことを知っていれば人は自分を大事にする。
自分が死ぬことを知っていれば人は優しくなれる。
自分が死ぬことを知っていれば子供たちを大事にする。
あなたが自分が死ぬことを知っているなら、この人生で何を成し遂げようと思うだろう?
自分が絶対に死ぬことを知ってさえいれば、あなたの人生はどれだけ光輝き、満足できるものに変わるだろうか・・・

テクニックも、勉強も、自己啓発も、スピリチュアルもいらない。
なぜならもともと生き物っていうのはそういうものだからだ。

死を前向きに受け入れよう。
自分の死を想像しよう。

そこには100%、
自分にとっても世界にとっても良いことしかないのだから。



分かりました
昨日今日と、NLPでわりと有名なRichard Bolstad先生のセミナーを受けてきました。

そしてようやく・・・
自分のなかでプロセスワークとNLPを繋ぐ概念、というか、自分なりの落とし所が分かりました。

もちろんそれは、韓氏意拳や様々な研究のなかで培ってきた僕なりの視点ではありますが、
いよいよこれで実際にセッションを始めてみようと思っています。

今している波動や陰陽道の研究のなかで、さらにより深まっていくところがあると思いますが、とりあえず
「コレだ!」
と思うところまでたどり着いた気がします。
実践はまだまだ経験を積む必要がたーーーくさんあるでしょうけれど、一歩前進です。(といっても本当は日々前進しているものです)

予定としては、
臨床自然的なんでもセッション
をします。
個人の問題から、身体症状、コーチング、人間関係のワークや、グループのファシリテーション、教育のためのワーク、植物状態の人とのワーク、いわゆる精神病の人とのワーク、死に瀕している人とのワークや、願望の実現、成功するためのワーク、お金のワーク、クリエイティビティを上げるワーク、アートとのコラボレーション、自分のいろいろな能力をあげる・・・など、
なんでもやります。
とりあえず応相談ですね。
ただし
「とりあえずそのワークを受けてみたい」
という人はお断りの予定です。
別にやるのはいいのですが、それはそれで自分に気づいて納得はすると思いますが、おそらく金額的に満足するような結果はでないと思いますので・・・
(自分が今はまだ変わる気がない、といったことが分かったりはします。)

料金は1時間で5000円、か2時間で10000円。2時間単位の方がゆっくりといろいろできていいかな、と思っています。
月収15万円以下の人または学生は1時間当たり3000円。
グループファシリテーションは方法のレクチャー含め、大変なので1時間10000円、といったところになると思います。


うーーーん、
それはどうあれ、
とりあえずヤル気でてきましたっ。
どうなることやら楽しみです。。。

わたしのやっていること、やってきたこと。
キマタシンヤという人間はいったい何をやっているのか?
ということについて、まとまった話をする機会がないし、
いつも違うことをやっている(と傍目にはみえる)ので、
わたしの親しい人でさえも、
「一体全体キマタは何をやっているのだろう?」
と思っている。

なので、今日は、
さらっとわたしの歴史をやっていることを書いてみたい。

僕は、小さい頃から、
自然を見て、
人間ってなんて不自然なんだろう?
どうしたら自然になれるんだろう?
と考えてきた。
これが今でも僕の要であり、向かっている方向である。

何が自然なの?
といわれれると困る。
僕の目には、自然なものは自然にしか、それ以外のものは不自然にしかみえない。
でも、これはプロセスワークのときでも、人の心をみるときでも、ビジネスのときも役立っているから、どうやらわりと正しく自然というものを見つめているらしい。

人間がどんどん不自然になっていく、
そうおもって育った。
だから、そうやってもっと人間は自然と近づけば良いかを子供の頃から研究(という大したものではないかもしれないけど)していた。
だから教育の方法とか、人間の能力はどうやったら伸びるのか、とかを研究した。
これが今の能力開発の研究や、潜在意識の研究、願望実現の研究とか、身体の研究とかに繋がっている。

自然と遠ざかるほど、人間は不自然になり、自己破壊におちいっていく、と思った。
だから大学ではエコロジーを勉強した。
本当は野生動物の保護をしたいと思って進んだ方法だった。
動物の美しさが好きだった。その自然らしさが、といってもいいと思う。
この動物というものへの憧れが、服好きに繋がっていると思う。そしてファッションデザインを勉強した。これはまだなにか取り立てて役にはたってないけど、自分のベースとしてはいっていると思う。

大学でのエコロジーの研究のとき、いろいろな角度から自然というものを見られるように勉強した。
そしてその結果、実は技術も教育も、経済や政治だって、本当はもっともっと幸せにすることができる研究はとっくの昔に発見されてたのだと知る。
じゃあ、なんでできないんだろう?と思った。
そう、それは人間の考えや心がさせないのだ。
技術やさまざまなものも、それ自体が悪いのではない。それを使う人間が悪い。
でも、それがわかっていない人を説得することってできない。人は実は理屈では動かないんだ、と悟った。
だから、「体験的な理解」をするための方法と、理解すべきものを探し始めた。
「体験的な理解」の方法は、ボディーワークや神秘体験、心理的なワークの方へと繋がる。
理解すべきものは、、、人は世界と繋がっているということ、一人では生きていないということ、ようするに「ワンネス」みたいなものだ。これがトランスパーソナル心理学や変性意識の研究に繋がる。

「体験的な理解」をさせる方法論をみつけるため、メディアアートや現代美術を勉強した。
これはうまくいかなかったが、たくさんの出会いを生んだ。
今の拠点が大阪なのは、このときのお陰だ。
このときにプロセスワークと出会った。
・体験的
・変性意識体験
・自然(タオ)
・社会問題も個人的なものと同じように、また繋がっているものとして扱う
・アーティスティック・直観的
僕の研究していたすべてを満たしていた。
衝撃だった。
すでに僕がやろうとしていることをやっている人がいる!
そう思った。すぐに勉強することを決断した。

アメリカでプロセスワークを勉強しながら、
もっと簡単に、たくさんの人が、「体験的な理解」をできる方法ってないだろうか?と考えた。
そのときにヘミシンクに出会った。
複製可能、販売可能、聴けば誰にでも効果がある、そして地球と繋がっているなどの神秘体験ができる(まだ100%とはいかないが)、、、驚きのツールだった。
ちょうど親からの約束していた仕送りが終わる期限が近づいていた。仕事をつくって稼がないと、、、と思っていた。
そしたらいろいろと質問をしていたモンロー研究所からディーラーにならないか?と誘いが来た。
それで販売店になった。

なんかいろいろあって日本に帰ってきた。
プロセスワークをやっていて、ある時にふとヤル気がなくなってしまったのが原因だった。
悩んだが、いつも頭の中にもやもやしていた日本へ帰った。そこでパートナーに出会い、そしていつのまにか帰国。
でも、いろいろな想像もしていなかった出会いがあった。
たくさんの先生、僕の研究成果(一端ではあるけれど)を伝える場所などなど。。。
あと、日本に留学してから始めて帰ってきたときに参加してみた韓氏意拳という武術に「自然」というものへのもっと深い理解をみたのだ。だからちゃんと勉強したいと思っていた。
そんな軌跡があり、プロセスワークのプログラムを辞めての日本への帰国はずいぶん悩んだが、結局研究が進み、予想もしないかたちで夢が叶うかたちになった。

その後、二人の大きな先生の教えを参考に、人の意識への理解が進んだ。今は、教えを参考にしつつも、明確な研究対象ができた。
また、ヘミシンクでの神秘体験をもっと高い確率でできるようにする方法を考え、進んでいる。協力をしてくれる心強い見方もできた。これもいずれ形を見そうだ。

パートナー(4日前に入籍しました)の勤めていた会社で、木原卓也という、まさに僕がやりたかったような仕事の一つをかたちにしているスゴイ人と出会った。物事の発想の方法について、考え方についてはじめて分かち合えると思った人だった。しかし、たった一回のきちんとした会合を得て、木原さんの突然の死。今でももっと話したかったと思う。でも、たった1回でもその出会いは、僕に「ビジョンデザイナー」という新しい仕事を創る影響を与えた。未来のビジョンを創るという仕事。これは今ゆっくりと進行中。木原さんが僕に与えてくれた影響は大きい。

今は、10月には生まれるはじめての子供の存在を感じながら、今後進む道を耕している。
今の田舎に、「新しい都会」をつくるという方向。
もっと自然とともに生きる方法。
でも、
「人は自然の中では生きていけない」
という知人の言葉が最近頭の中を支配している。
先日バリに行ったときになんとなくそれを理解した。
これは結局大学のときに考えていた僕の未来の生活論を支えるものになった。戻ってきた。

人は自然でありながら、自然のなかに人間という秩序をつくり、そして自然とは別に新しい人間的な近似的なものでありながら且つ本当の自然をつくりあげなければいけない。
これが今の僕の考えていることの一つだ。


こんな風にして生きてきた。
今、日々新しい人との出会いがあり、可能性がどんどん広がっていっている。
子供のころから求め研究してきた「とにかく幸せになる」という夢は完全に果たされている。毎日が最高に幸せで、いよいよもっと周りの人を幸せにしてあげるように、と思うようになった。
これから一体何が起こるだろう?

思えば本当に本当にたくさんの人のお陰で、本当に幸せな、思い通りの人生を生きています。
多謝。




ひ孫への手紙
本当はこの手紙は今年の元旦、1月1日に書いたものだ。
ただ、途中でパソコンのエラーで消えてしまった。。。
でも、やはり僕の書いた今年の記事の中で一番書きたいものだったのでもう一度書こうと思います。
ちょっと気分が元旦とは違うので、すこし変わってしまった部分もあるけど、なるべくその気分で書き直したつもりです。

では・・・


>>>>>

はじめまして、ひいおじいちゃんです。
木全慎也(キマタシンヤ)といいます。
僕は西暦という暦で2007年の1月1日にこの手紙を僕のひ孫である君に書いています。
今そっちは何年だろう?
ひょっとしたら「〜年」とかもう使ってないかもしれないね。

今、君の周りはどうなっていますか?
息は気持ちよく吸えますか?
まだみんな仕事のために仕事をしていますか?
しんどそうな顔の人は多いですか?
どんなことにみんなは興味を持っているのだろう?

僕は君が生きている時代をよくしようといろいろとがんばっています。
とはいえ、人生も楽しんでいるよ。
なるべくいっぱい遊ぼうと思っています。


今、僕が住んでいるところは、周りに土もなく、空は狭く、グレーによどんでいます。木も動物もいません。長い間街を歩いていると、チリや自動車という乗り物からの油で顔が汚れたりします。
周りの人たちは毎日、朝から眠りたいのも押して起き、ありえないほどぎゅうぎゅうづめの電車にのり、特別何かや誰かのためになるものを生み出すわけでもない仕事に向かっていきます。お金を稼ぐことだけが目的の仕事です。
「生きるために仕事をする」ということがまかり通っていますが、君の時代はどうだろう?
もっとひどくなっている?
それとも遠い昔みたいに、あるいは少し前の未来の夢みたいに、食べるものには困らずにいるかな?

僕の周りは、自分の周りを汚さなければ生きていけないようになっていて、変な感じです。
毎日山のようなゴミが出て、それをせっせと毎日たくさんの人が捨てにいっています。
君の生きている時代には「ゴミ」という言葉はあるだろうか?
あってもひょっとしたら僕の時代とは違う意味で使っているかもしれない。。。

教育法はどうなっているだろう?
きちんと育ててもらってきたかな?
僕の時代には、みんなは仕事をするために生産されるように教育されているよ。自分で考えたり、人生を幸せに生きるためではなく、、、、何のためだろう?
最新の情報を理解するためだろうかな。
自分たちでもわからないってのは変だよね。
でも、そういうものが「教育」っていわれている。
君たちの時代では僕らの時代の「教育」はなんていわれているのかな。
とてもバカバカしくみえたりする?
それともキチンとしていた時代なんていわれていたりするのだろうか?
そんな風に言われているなら、きっと君もとても窮屈に生きているだろうね。大変だね。


僕は、君たちが幸せに、人生をイキイキと生きていけるように勉強も努力したつもりだし、今もやっているけど、なかなかうまくいかない。
僕にはまだ僕自身がこれからどうなっていくかわからないからなんとも言えないけど、これからもっと世界を良く変えることができたらなって、思うよ。
君が自慢できる曾祖父だったらいいな。
もし恥ずかしい曾祖父だったら・・・ごめんな。
これでもなるべく君のことを考えてがんばったつもりだったんだけど。

本当に、君の時代がどうなっているか知りたい。
もしそれが分かるなら、きっともっとうまくいろんなことができるに違いないのに、と思う。
君がもっと幸せに暮らせる時代をつくることができるかもしれない。
でも、
未来予知の練習なんかもしてみたりもしたけど、
それはやっぱりできないから、
僕はただ、君のいる、僕の時代からみた未来を想像していろいろとがんばるよ。
なにしろ君の時代にあるものは、きっと僕や僕の時代にいる人たちがつくった・つくってしまったものだろうからね。
責任をもって、がんばります。
僕の一言一行動が君の時代をつくっているのだからね。


君も、僕みたいに自分の子供たちのことを考えて行動できる人間になってほしいな。
そんなこといって、君の住んでいる時代がどうしようもなくイヤな時代なら、恥ずかしくて頭が上がらないけどさ。。。
そんなときでも「どうせがんばったって無駄なんだ」って思わずに、希望を捨てずにがんばってください。いつかきっと僕らの努力が花咲くときがあるはずさ。・・・と僕も自分に言い聞かせてがんばっているので。

まあ、ほんとに、君の時代が僕らの時代よりもっともっといい時代だったらいいな。
自分の国をもっと愛せたら、
自分の親たちをもっと尊敬できたらし、
自分の文化をもっと素晴らしいと思えたら、
周りにある物がもっと美しいと思えたら、
毎日食べるものがもっともっと美味しいって感じられたら、
普段から「とっても気持ちいい」って思えたら、
生きているって素晴らしい!って思えてたら、
すごくいいなって思うよ。
そうなっていることを願っています。


2007年元旦。
僕は君のことを思い、君の住んでいる環境のことを思い、
再び決意をかためつつ、この手紙を書きました。
この手紙が、君が誇りを持って読んでいることを信じています。

それでは、君も身体には気をつけて。
どんな時代であっても、なにしろ健康が一番ですよ!(^^)



木全 慎也
2007年1月1日
大阪にて









陰に住む生き物
今日、「陰」とは何か、ということを理解するきっかけをもらった。
それは些細なことだったが、陰に潜む生き物との対峙がきっかけだ。。。

人の意識が陽なら、その世界にはかならず陰が存在する。。。
陽には容易に見られない存在・・・

しかしその存在は、ほんのひと時、わたしたちの意識の隅にあらわれ、そしてまた消える。
人がそれを「探そう」という思いをあざ笑うかのように、、、、。

その存在とは、

であった。


とまあ、ちょっと半分は冗談なのだが、
本当に陰の存在を感じたのだ。
今年初の蚊だ。


蚊の動きをよくみる。
ふよふよとゆらぎながら飛ぶ。
人間の目では、というか「見よう」と意識でスローになった目では捉えきれない。
固まった意識から解放された、ひとした一瞬、蚊は目の端をよぎる。
目をむける。そこに蚊がいるが、蚊はわたしの目の前にいるにも関わらず、目に見えないところに消える。。。
見ようとしても見えない。

白いものとの間を避け、背景のない、あいまいな空間へと移動していく。
そこにはたしかに膨大な空間がある、
が、人間には見えない。

探せば探すほど蚊はいない。
ほとんどの人は経験しているはずだ。

蚊にきづく。
蚊が消える。
あきらめる。
さされる。
蚊をみつける。
蚊は消える。
という繰り返し。。。


背筋がゾッとしたのはその後だった。
蚊が動くのは、人の意識の「陰」なのだと気づき、ふと後ろを向いた。
なるべく部屋の全体を見ようと壁を背にしていた私の、肩越しの壁に蚊がとまっている。
あの蚊がとまっていた。
お前の見ているところはすべて知っている、
といわんばかりに、悠々と、まさに僕の盲点に、ぴたりといた。


そう、これが陰という存在。
現実にはあるのに、わたしたちの意識の光の裏側につねに存在している、わたしたちがみることのできない世界。

蚊一匹を見つけることのできないこの私たちの意識は、
いったいどれほどの世界を見落としているのだろう。
わたしたちが見えないところには、いったいどれくらいのことが存在しているのだろうか。

蚊は確実に「陰」を知っている。
生き物の意識の「陰」を。

彼らがうごめくのは、
わたしたちがしようとしないところ。
わたしたちが思うところの「裏」。
みえないところ。
わたしたちには「ない」世界だ。